弁護士か消防士になりたいと思い、勉強に集中するための辞職だった。
会社を辞めて5ヶ月ほどは、朝から図書館で勉強、昼は公園で弁当もしくはマック、午後も勉強という日々だった。
詳細は後日に記すが、なぜ弁護士になりたいのかを徹底的に考えてみた。思索の結果、ぼくがやりたいことは弁護士じゃなくてもできるという結論に至った。困っている人を守るために弁護士になりたい思っていたが、実際に守りたかったのは自分自身だった。
弁護士になれば、お金、地位、名誉、モテなどが手に入る。
結局ぼくは、弁護士になって、豊洲あたりのいい感じのマンションに住み、綺麗な奥さんを貰い、BMWに乗りたいだけだった。
ぼくは少年時代から、なぜか困っている人を助けたかった。そのためには、自らが現場で一緒に闘う必要があると考えていた。同時に、上述のような豊かな生活を求めていた。
この桎梏に、長年苦しんできた。
自分を安全で豊かなところに置きながら、一方で困っている方のために働くというのは、ぼくにとっては偽善だった。
だからこそ、世界の現場を見て、実務に携わろうと思い、いま、世界を放浪している。
1年前は、世界を放浪しているだろうとは、ゆめ、考えてもいなかった。図書館で勉強し、プロ野球を見る、という穏やかな日々だった。
人生は、不思議だ。どんなに目標や計画を立てようが、未来は予測できない。しかし、だからこそ面白い。
1年後、ぼくたちはどこにいるのだろうか。
ぼくの場合、もしかしたら死んでいるかもしれない。最近、世界で大きな地震が頻発しているため、その犠牲になるかもしれない。また、事故にあったり病気になるかもしれない。
昨日は徐行気味のバイクに追突されたり、犬に噛み付かれそうになったり(狂犬病になる)と、危険だった。
しかし、心配しても仕方がない。
目標や計画を立てつつ、直感に従う。毎日を一生懸命生きる。
そうすれば、1年後にどこにいても不思議じゃない。