THE WILLPOWER

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絶望を希望へ その2

 「その1」はこちら。

絶望の極みー大学受験ー

 高3になってからも過敏性腸症候群パニック障害は治らず、むしろ、最も緊張する大学受験を控え、病への不安はますます肥大し、同時に症状は深刻化の一途を辿った。

 そんな絶望的な状況の中でも、ぼくは大学受験を決意していた。なぜなら、弁護士になりたいという強い思いを持っていたからだ(当時は、新司法試験への過渡期で、司法試験を受けるには法科大学院卒業が必須)。

 志望校は都内の上位私大だったが、これも妥協せざるを得なかった。病を発症してから勉強に集中できなかったため、本来目指せる大学を目指せなかった。また、病気をコントロールしながら試験に臨むため、ある程度の大学に絞るしかなかった。  

 そんな志望大学もオープンキャンパスに行って志望意欲が高まり、ぜひ合格したい、と思い、毎日一生懸命勉強した。成績も上がり始め、偏差値も60台になった。

 一方で病は収まらず、センター試験が近づくにつれ、今まで以上に不安が大きくなった。ぼくはテレビが嫌いだったのだが、そのときは、人間の声が聞こえていないと不安で怖くて、ずっとテレビをつけながら勉強していた。

 そしてセンター試験当日。全身の力を絞り出し、試験場に到着。病に気持ちを集中しつつも試験に臨み、8割の得点を取る。が、結果は不合格。センターは練習だと思っていたので、不合格自体は気にしなかったが、問題は、もう一度あの恐怖の試験を受けなければならない、ということだった。

 実はセンター試験当時、不安で病が爆発し、食事がまったく喉を通らず、トイレで吐き続け、家で泣いていた。精神的にはギリギリの状態だった。

 そんな絶望的な状況を一度味わった後、もう一度挑戦できるのか。そもそもパニック障害は、不安が元となって発症する。いわば、病にさらに油を注いでしまったことになる。

 そして精神の限界に達したぼくは、志望大学受験前日、ある決断を下した。

 それは、「受験をしない」という結論だった。

 今でも、この選択が正しかったかわからない。受験すれば、おそらくは合格していたと思う。

 しかし、はっきり言えるのは、あの時のメンタルはずたぼろで、試験場への電車に乗ることすらできない状態だった。

 こうして、ぼくの大学受験への道のりは幕を閉じ、高校を卒業した。

 桜舞う3月、希望はなかった。

 

 その3に続く。まだ終わらなくてごめんなさい。